肺炎で入院

入院翌日面会

 

ちょっと楽になった?と聞くと ならん。と

酸素を2リッター使用し spo2 90

 

単語なら話せる程度に回復。喀痰検査施行。

 

夕方 ドクターより 連絡。

喀痰検査で 結核疑陽性がでた。

確定診断では無いが 隔離します。と

 

翌日 確定診断で 結核と決定。

 

抗癌剤で免疫が落ち ステロイド投与で更に免疫が落ちているところで 結核菌を拾ったのかも。

抗癌剤 2

1クール終わり 自宅療養。

夫婦でご飯を食べに行ったり スーパー銭湯に行ったり 病気と仲良く付き合いながら それなりに楽しく過ごしていた。

通院

白血球の値が高く 抗癌剤延期。

 

次も軽くすむといいね。と話していた

 

5月14日 22時 母より電話

父の呼吸が荒く 震えている。と

すぐ救急車を呼ぶように伝え 私も高速で主人と実家に向かう。

13分後到着。

救急車は到着していた。

spo2  60

すぐに酸素を流してもらい 救急搬送。

チアノーゼが出ていた。

 

病院到着。

発熱  40°とのこと。

 

レントゲン CT 血液検査 尿検査

 

診断➡️細菌性の肺炎の疑いで入院

   後日呼吸器内科の診断を受けることに 

 

抗癌剤治療

入院後も再度行われる検査で 間質性肺炎の悪化が 検査データーで出てきた。

 

ドクターと相談をし

父に治療をしたいとの意志がある

後悔のないように 抗癌剤をやらせてあげたい。つらいのは覚悟していると 本人は言っている。

 

なぜ そんなに辛い思いを覚悟し 生き続けようとするかは まだ理解出来ないが やりたいと言うことはやらせてあげたい。

 

その結果 抗癌剤をかなりマイルドにし 間質性肺炎を悪化させるのを 極力抑え 抗癌剤治療を開始することにした。

 

幸い 抗癌剤による副作用は 3回の下痢のみだった。と父は喜んでいた

 

2019年4月23日 無事退院。

この日は 母の誕生日だった。

間質性肺炎からの肺癌

ドクターからは 間質性肺炎のため 放射線治療はできません。抗癌剤も使える薬剤が限られます。

 

抗癌剤も今の新しい副作用の少ないものは使えず 昔からの薬剤しかつかえない。

副作用はきついと考えられます。

このまま緩和ケアに切り替える選択肢もあります。

 

抗癌剤を使い、つらい時間を過ごしても 癌が治ることはない。5年生きる!と言うこともない。

緩和ケアで 痛みや苦しみを取り除き 出来ることをする人生もいいのではないか?

 

どちらの選択肢も正しい

どちらも 50%ずつだと思う。

 

家族で決めてほしいと。

 

前回 時間をかけすぎ 後悔のある父は その場で 抗癌剤を希望する。そのために 肺の内視鏡で 癌の種類を特定する検査入院を希望。

 

後日 内視鏡で検査が行われましたが ガン細胞は採取できず ドクターの判断で どのタイプの癌にも効きやすい抗癌剤を使用し 抗癌剤治療を行うことになりました。

間質性肺炎

6年前間質性肺炎を患った父の介護日誌です。

 

2013年74歳の父は 母と二人暮らし。

無料の健康診断で 初期の直腸がんが発見され 内視鏡による摘出手術を受けました。

その際に同時に発見された 間質性肺炎

直腸がんは結局腹腔鏡手術で全摘され 転移もなく 2018年完治と診断されました。

 

家族は 父 母 

そして嫁いでいる私 妹 独立している弟。

今までなんでも二人で出来ていたので 私達兄弟も 今考えれば 無関心だったかもしれません。

 

なんかね、肺炎なんだって。と言う母の言葉に なんでこんなに長い間肺炎が続くんだろう?とは不思議に思っていましたが 自分達の生活に忙しいせいもあり 二人でずっと受診していました。

 

そこで 2018年 直腸がんの完治受診の際 間質性肺炎からの肺癌が疑われ 私が受診に無理やり同行することにしました。

 

肺癌はごく初期の段階。

今なら手術できます。が、間質性肺炎があるため、安全な手術ではありません。

手術の成功率は80% そこで急性増悪起こす可能性もあり 起こしてしまえば 半分の方はなくなってしまう。家族で相談をしてください。とのことでしたが、父は 先生に従います。の一点張り。

 

先生も従われても困る。

今なら歩ける 動ける 好きなところへもいけるのに 予後悪ければ なくなってしまう。判断は 家族で決めてほしいと。

 

そんな状況で 1月が過ぎようとしてる頃 家族で話し合い やっと 手術をしたいといいだした父に 家族が従う決断をした矢先。

肺癌がすごいスピードで成長し 転移を始めた。

 

肺癌はリンパにも転移し 違う場所にも転移をしていた。

 

手術はもう出来ません。

 

呼吸器外科から 呼吸器内科に移り 内科的治療に変更することを余儀なくされた